中2とゴディバとバレンタイン。

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闇の青春シリーズ
 ぼくは中学時代、友達がいなかった。
いじめられていた、みたいなエピソードがあればいっそわかりやすいのだが、そういう目立ったできごともなく、ただシンプルに友達がいなかった。
誰からも話しかけられないし、当然、こちらからも誰にも話しかけない。極端に影の薄い存在だった。
 14歳、中2の冬。
ぼくは中1のころと変わらず誰とも関わることはなく、「もう14歳かあ、エヴァに乗らなきゃなあ」なんて空想をしながら日々を過ごしていた。
 そして2月14日、バレンタインデーがやってくる。
はじめから期待はなかった。クラスにおいて存在しないに等しいくらい存在感のないぼくだから、本命だろうが義理だろうがチョコなんてもらえないことはわかりきっている。
 ところが、世の中は慈悲深い。女神というのは実在する。
同じクラスの、バレー部に所属する短髪ボーイッシュ系の元気な女子が、昼休みになんとクラスの男子全員に「はい、あげるあげるー」とチロルチョコを1個ずつ配り始めたのだ。
 さながら戦後の配給。義理チョコ中の義理チョコ。
一般的にはありがたみの薄い渡され方だが、それでも彼女はぼくのようなモテない男子にとっては救世主であった。メシアであった。東北のド田舎に舞い降りた平成のジャンヌ・ダルクであった。
順々にチョコを配り歩き、徐々にぼくのもとに近づいてくる女神。
 ところがどっこい、ぼくの直前あたりで、女神は友達に話しかけられていったん立ち止まった。そのまましばし談笑。
1分かそこら経ったあたりで、またねー、と手を振り、女神はふたたび歩き出した。そしてぼくの横を素通りし、ぼくの後ろの男子にチロルチョコを渡した。
 ……え?ぼくは?
 これが後世に語り継がれる「ぼくってば全員配布からもあぶれるほど影薄い事件」である。ぼくの自伝があったら100ページほど割いて語りたいターニングポイントである。
 この絶望の瞬間、ぼくがふと思い浮かべたのは、意外にも母親の顔であった。
ぼくがこんなにもモテず、こんなにも影が薄いということを、もしお母さんが知ってしまったらどう思うだろうか。さぞ悲しむのではないだろうか。
なんせ、少なくともこのクラスにおいては、ぼくは間違いなく単独最下位。ほかの男子は最低でもチロルチョコひとつを獲得しているが、ぼくにはそれすらないのだ。
 ぼくは放課後、ある決意をして、家とは逆方向に自転車を漕いだ。友達がおらず、いつもまっすぐ家に帰っていたぼくにとって、人生で初めての寄り道だった。
向かった先は、川を渡って隣町のセブンイレブン。ぼくは若者よりイノシシが多い田舎で育ったので、まともな商店はそこしかなかった。
特に使い道もなくずっとカバンに入っていたおこづかいの500円玉3枚を握りしめて、店内に入る。すぐさま目的のコーナーに行くと必死な感じが漂ってしまうので、まずは「なんとなくふらっと来てみましたよ」という顔で店内を軽く一周。
その後、お菓子のチョコレートコーナーで足を止めたぼくは、まずチロルチョコ1個と板チョコ1枚を手に取った。
そして隣のバレンタイン特設コーナーにも行き、きれいに包装されてハートマークのシールがついた高級チョコも購入。その包装には「GODIVA」と書いてあった。「なんて読むんだ?ゴー・ディーヴァ?」と疑問は残ったが、見栄えはよかったのであまり気にしないことにした。
 レジを足早に去り、今度は家に向かって自転車を漕ぐ。
きょうは木曜日だから、お母さんが早く帰ってくる日だ。ぼくも早く家に着かないと、「あれ?いつもまっすぐ帰ってくるのに、きょうはなんだか遅かったね」と怪しまれてしまうかもしれない。ぼくはペダルを強く踏み込んだ。
 そして、家に着く直前。
ぼくはいったん立ち止まり、セブンイレブンのレジ袋からチロルチョコを取り出して食べた。しかも、わざと口の横にチョコが付くように。板チョコと「GODIVA」のチョコはカバンに入れた。レジ袋は小さくたたんでカバンの隅に隠した。
 その後、いよいよ帰宅。案の定、母はすでに帰宅しており、台所にいた。
「ただいまー」とぼく。「おかえりー」と母。母がぼくの顔をちらっと見た。この角度であれば、ぼくの口の横にチョコが付いているのは見えたはず。よし、第一段階クリアだ。
続けざまに、ぼくはカバンから板チョコと「GODIVA」のチョコを取り出し、テーブルにひょいっと投げるように置いた。「これ、いらないから食べていいよ」と言いながら。
「ん?どうしたのこれ?」と母。「あー、もらった」とそっけない返事をして、洗面所に手と顔を洗いに行くぼく。よし、第二段階クリアだ。
完璧だ。完璧すぎる。ぼくは母親の前で、無事に「バレンタインデーに学校でチョコをそれなりにもらったけど平常心を保っているモテ男子」をやりきることができた。
 ……と、当時のぼくはたいへん満足した。
 あれから約十数年が経ち、自身が人の親になったいま振り返ってみると、笑ってしまうくらい、ぜんぜん完璧ではなかったことがハッキリわかる。母は100%、ぼくのウソに気づいていたと断言することができる。
あのとき母は、ぼくになにも深く質問してこなかった。当時ぼくはそれを「完璧にだませたから」だと思い込んでいたが、実際は違う。母は、一生懸命ウソをつこうとしたぼくを気遣ってくれたからこそ無言だったのだ。
 当時この真実に気づいていたらきっとぼくは死にたくなっていただろうが、いまとなっては「うわあ、恥ずかしいなあ」くらいで済む。いい思い出、というやつだ。

コメント

  1. 名無しのゲーマー より:

    いじめられてたわけでは多分ないけど友達いなかったの凄く分かります
    自分もそういうタイプでしたから…
    いじめなら加害者を恨めますが自分のコミュ力の問題なので自分を恨む事しか出来ませんでした
    自分は結婚してませんが大学で田舎を飛び出して新しい人間関係を築けた事で人生変わりました
    いい記事をありがとう

  2. 名無しのゲーマー より:

    ツイッターで紹介されてて来ました。
    軽く胸が抉られる部分がありつつも最終的に笑いとほっこりの名文で流石ライターさん。
    シリーズらしいので次の闇にも期待してます。
    闇がある事を期待しちゃ駄目な気もしますg

  3. 名無しのゲーマー より:

    普通にいい話でほっこり

  4. あめふりこぞう より:

    心がほっこりするような話でした。
    ありがとう。

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