「いいんだよ、終わっても。うちを経た子たちが消えるわけではないんだから」
「人生があるわけですもんね」
「そう。学校の歴史より、人の未来だよ。ああ、そろそろ出ようか」
「ほんとだ、けっこうな時間。手荷物検査、混んでないといいですね」
席を立つ拍子にテーブルの端に膝が触れて、小さくなったグラスの氷がカランと鳴った。
とある空港の、よくあるチェーン店のカフェ&バー。
昔お世話になった人から「ひさびさにそっちに行く用事ができたから、もし都合が合えばどうかな」と連絡があり、「それはぜひ」ということで、その人が帰りの飛行機に乗る直前の時間をいただいた。
話せるのは1時間弱で、ぼくにとっては空港までの往復時間のほうがよほど長い。が、せっかくお声がけいただいたし、おそらく5年ぶりくらいだし、お世話になった恩もあるしで、行かない理由はない。
その人は、ぼくにとって初めてのお客様だった人だ。
新卒で会社に入って、営業職になって、先輩から引き継ぐ形であいさつに行って。先輩の「今日からこの者が担当させていただきますので」という言葉とともに前に出て、震える手で名刺を渡して、「よ、よろしくお願い申し上げます」と言って。その名刺を受け取ってくれたのが、その人だった。
そのときはたぶん、「おお、よろしくね。初々しいね」くらいのことを言ってくださっていたと思う。が、緊張しすぎていて細かいやりとりはなにも覚えていない。ぼくの脳内は「右手で名刺を渡して、左手で相手の名刺を受け取って……名刺入れは相手の名刺入れより少し低くして……あっ、もらった名刺をうっかり手をすべらせて落としたら死ぬ……! 手汗よ止まれ……!」みたいなことでいっぱいだった。新入社員というのはだいたいそんなものである。
営業担当として、その人とは3年ほど仕事上の付き合いがあった。
最初の数ヶ月は「まあ、君は新人だからね。ちょっとずつうちのことを知ってくれればいいよ」と大目に見てくださっていたが、すぐに「うちはそれなりのお金や時間を君のところに支払っているわけだから、頼むよ」という感じに変わり、要求や要望が厳しくなった。
ただ、それが心地よかった。プロとして見られているのだと思えた。会社の看板を背負って来る以上、ここではお前は会社の代表だぞ、と。新人かどうかなんて心底どうでもよくて、本質はうちのコストに見合うリターンが提供できるかどうかだけだぞ、と。
わかりやすくてやりやすいと思ったし、結果、いろいろ鍛えられたように思う。
その後、ぼくは部署異動があって担当を外れた。その人はその職場を退職して、とある地方部の学校の職員兼講師みたいな感じになった。前からやりたかったらしい。
仕事上の付き合いはなくなったが、ありがたいことに「応援しているよ」という感じで気にかけてくださっていて、ときどきメールのやりとりをしたり、数年に1回だがお会いしたりする。
ちなみに、その人のメールでの一人称は「小生」である。ほんとにあるんだな、その一人称。
そして、最近。その地方部の学校が、ついに閉じることになってしまった。閉校だ。
ただ、急な閉校ではなく、何年か前から決まっていたらしい。新規入学者の受け入れを停止して、いまいる在学生の教育を続けていって、ついに最後の在学生を卒業させたところで閉校、という感じらしい。
もちろん、閉校なんてしなくて済むのがベストなのだろうが、いくつかある閉校のパターンのなかでは、わりと円満というか、穏便なほうなのではなかろうか。
「教職員のみなさまは、もう次のお仕事とか職場とか、見つかってらっしゃるんですか?」
「私が知る範囲では、ほとんどね。実績も人脈もある先生方も多いから」
「それはよかったです。あとは今後、地元の子どもたちの進路選択の幅が狭まらないといいですね。もともといまは、通信制とかも含めていろいろあるのかもしれないですけど」
「そうだね。……それにしても、君はあいかわらず未来志向というか、人志向というか。わかりやすいね」
「そうですか?」
質問しながら、そういえば新人のときにも同じことを言われたな、と思い出した。
「ほかの人はたいがい、『残念ですね』とか『学校がなくなってしまうのはさみしいですね』とかから入るものだよ」
「あ、そうか。えっと、学校がなくなってしまうのはさみしいですね」
「ははは」
「いや、やっぱりこう、学校そのものというよりは、学校を構成するのは人ですし、人のための学校だと思うので、そっちに視点がいってしまうというか」
「君のそういうところ、いいね。あいかわらず。君は新人のころからそうだけど、それは生来の気質なのかね」
「どうなんでしょう。生来ってことはない気がしますけど。でも、きのうよりきょうはいい日だって毎日思って生きてますし、世の中みんな一生懸命生きていると思って生きてます」
「一貫しているね。どちらかと言えば私の志向もそちらに近いけど、君はよほどだよ」
年齢的にはその人のほうが干支ふた回り以上も上で、講師をやっていらっしゃるだけあって学もずっとあるのだが、話はけっこう合う。
もしかしたらうまく合わせてくださっているだけなのかもしれないが、よいキャッチボールができている場面が多いと感じる。
「最後の卒業生が、もうすぐ出るんですよね」
「そう。いい子たちだよ、みんな」
だろうな、と思う。
いろいろあるんだろうな。自分より低学年がいないさみしさもあれば、だからこその一体感もあり。卒業とともに母校がなくなる切なさもあれば、最後の卒業生の肩書きを背負う誇りもあり。
プラスにせよマイナスにせよ、自分自身やその将来について考える機会は、ほかの学校の学生たちより、よほど多かったことだろう。それでいて、熱意と実力のある教職員の方々がそろっているならば、そりゃあ、伸びるに決まっている。
「みんないい子たちだよと言えるのは、教育機関としては誉れですよね、きっと」
「誉れだよ。だから、いいんだよ、終わっても。うちを経た子たちが消えるわけではないんだから」
「人生があるわけですもんね」
「そう。学校の歴史より、人の未来だよ。ああ、そろそろ出ようか」
「ほんとだ、けっこうな時間。手荷物検査、混んでないといいですね」
学校はなくなるけれど。もちろん、そこにさみしさや悲しさはあるし、その地域における今後の教育基盤の心配もあるけれど。
少なくとも、そこにいた人たちの人生は続いていく。そこにいたからこその人生が。
学校が終わったからと言って、そこにいた人たちの人生が終わるわけでは、ぜんぜんない。
『八月のシンデレラナイン』(通称:ハチナイ)というスマートフォンゲームのサービスが、2024/12/17(火)に終了する。
公式の言葉を借りるならば「最終回」だ。9回裏、最後まで全力で試合をやりきった。
ハチナイは、2017年6月サービス開始。
ぼくは休止期間を挟んだし、プレイスタイルも主要なストーリーを追いかける程度のライトユーザーだが、いちおうサービス開始初日からプレイしていた。
ハチナイは2024年に入ってからは明らかにメインストーリーを畳みに来ている感があり、正直、「そろそろかな」という予感はあった。案の定、2024年9月にはサービスの縮小が発表され、ほどなくしてサービス終了が発表された。
でも、ユーザーが受け入れやすいように段階を踏んでサービス終了が発表されたし、多少のバタバタ感はありつつもメインストーリーは完結したし、いわゆる「オフライン版」の提供も決定しているしで、スマートフォンゲームとしてはある程度円満な終わりを迎えようとしている。
なお、オフライン版は、2025/03/17(月)までにアプリをダウンロードしておけば、端末やOSが対応しなくなるまでは遊び続けることができる。いままでの主要な要素はひと通り収録されるらしいから、読みそびれていたサイドストーリーやイベントストーリーを少しずつ読んでいきたいところだ。
2023年12月。
初めてコミックマーケットというものに行って、株式会社アカツキのブースに行って、ハチナイのグッズを買ったことを思い出す。大きなショッパーをもらって、それを持って会場内をうろうろした。周りはYostarのショッパーを持っている人ばかりだったが、「なにがYostarだ! こちとらアカツキだぞ! ハチナイだぞ!」の気持ちで闊歩した。
プレイ頻度こそ波があったけれど、やっぱりサービス開始時からの付き合いだけあって、なんだかんだ愛着があって、なんだかんだハチナイがけっこう好きなのだな、ぼくは、と思った。
正直、ハチナイは野球ゲームとして見るとシステム的に微妙だと感じる点が多く、特にサービス初期は「大丈夫かこれ……製作が間に合わなかったのか……?」という感じだった。いまはかなりよくなったが。
ただ、ストーリーやキャラクターや音楽は初期から大好きで、なんやかんや細く長く遊び続けていた。キャラは野崎夕姫と永井加奈子と風祭せりながお気に入りだ。
ハチナイの影響で、好きになったり、気にするようになったりしたものもいくつかある。
女子野球のニュースを意識的に見るようになった。たまに中継も観るようになった。テレビに仲村トオルや関水渚が出ていると目が留まるようになった。プリンセスプリンセスの『世界でいちばん熱い夏』をカラオケで歌うようになった。近々、野郎ラーメンに行こうと思っている。
まあ、最後のはどうかと思うが、ハチナイのおかげで人生がちょっと広がったのは間違いない。
ハチナイは終わるけれど。もちろん、そこにさみしさや悲しさはあるし、代わりのゲームがあるのかもわからないけれど。
作っていた人や、遊んでいた人たちの人生は続いていく。ハチナイに触れたからこその人生が。
少なくともぼくはそうで、ハチナイが遊べなくなっても、ハチナイのおかげでちょっと広がった人生が狭くなることはない。
なんなら、ハチナイの登場人物たちだってそうかもしれない。
ハチナイはスマホゲームとしては珍しく、ストーリー上で明確に時間経過がある。「高校3年間の部活動」という、限りあるからこそ輝く青春を描き、ユーザーに体験させるための画期的なしくみだ。
サービス開始時には高校1年生だった主人公の有原 翼(ありはら つばさ)たちは、時を経て3年生になり、やがて最後の夏の大会を終えて引退して卒業、というところまでいった。
そしてきっと、ゲームで描かれることがなくなっただけで、その先も彼女らの人生は続いていくのだろう。野球に、青春に打ち込んだからこその人生が。
ありがとう、八月のシンデレラナイン。
……と、きれいに終わりたいところなのだが、余談がある。
舞台は空港のカフェ&バーに戻る。話題が閉校の経緯に移ったときのことだ。
「おそらくですけど、閉校が決まるまでには、学内で予兆なり議論なりがあるわけですよね」
「あるね。喧々諤々だったよ」
「喧々諤々だったんですか」
「私もいまは落ちついたものだけど、当時はいろいろ言っていたからね」
「えっ、そうなんですか。どんなことを?」
「どうして本学を閉じる必要があるのだ! それならば近くの○○学校のほうが先に閉じてしかるべきだろう! あそこはなってない! それに本学も本学だ! 特に◯◯コースは他校より遅れている!……くらいは言っていたよ」
「名指し! なかなかですね」
「近くの◯◯学校はね、いい先生もいるんだけども、本当にもったいないんだよ。実習はいいのに設備が――」
ちょっと笑ってしまった。
まあ、そうだよな。理屈としていろいろ整理をつけるべき部分はあるけど、それはそれとして、そういうモヤモヤも正直、あるよな。
きっと、ハチナイも、ほかのサービス終了するゲームも。
それを作ってきた人も遊んできた人も、きれいに整理して受け入れていこうという気持ちと、それはそれとして「なんでだよ! それだったら○○のほうが先にサービス終了してもおかしくないだろ!」みたいなぐちゃっとした気持ちが、両方あるんだろうな。
人生って、そういうものなのだろう。そういう人生が、ぼくは嫌いではない。
コメント
ハチナイ…最初の2年くらいは遊んでたなぁ
オフライン版が出るのね
年末になると寂しいニュースが増えるね
ありがとうございます。
サービス終了がニュースが出た後のいつかのゲムぼくさんが配信で言ってた「ハチナイはまだ終わってない」は良い話だと思った
カテゴリが「人生」だった。いい話だ。
自分のプレイしているゲームも先日サービス終了が発表されました。
何年もサービスを継続できて、ストーリーも多分やりたかったことはきれいにやり切っての終了で喜ばしいと思う部分と、
もしもっと売れていればあのキャラやあの物語が
膨らんでいたんだろうかとか、あの施策は失敗だったなあとか、なかなか整理しきれない部分でぐちゃぐちゃした気持ちがあったのでゲムぼく。さんが言語化してくれて少し救われた気持ちになりました。
つい最近私の好きな『メギド72』も来年完結&オフライン版移行が決まったところだったので、今日の記事は色々共感できてじんときました。
ありがとうございます。
最後までいい話だった
なんか悪いもの食べた?ムチムチの話がないんだけど
昔お世話になった人が架空の存在とかじゃなくて良かった… 本当にいい話だった
>キャラは野崎夕姫と永井加奈子と風祭せりながお気に入りだ。
ここで確かなゲムぼく成分を感じた
えええ…ハチナイと抹茶スイーツブログの二本柱のうち一本が終わってしまうのか…
ええ話や
人志向、未来志向の理屈で行くとハチナイを制作していた人々にもこれから先の人生があるわけで、
またゲームを作るのか、はたまた違う職に就くのかは分からないけれど、
きっと実りある人生になるのだろうな
久々のゲムぼく。人生話だ
細く長くの後にむちむちキャラ挙げるのゲムぼく。って感じで好き
読ませる文章なんだよなぁ。
頭の良さが伝わってくる。
ハチナイが始まった頃は女子野球はまだあんまり無かったんですよね
桑田コラボはオフライン版に残るんですか!?
綺麗ないい話だったなー
最後のゴタゴタの部分リアで好きだなー
ちょっと泣く
そしてこの後、反動でとんでもないむちむち小話が出るのも読めている
ゲムぼく。さあ、エッセイというか本書いて出したら?無責任だが売れると思うよ?
あと怒張くんとぺんぎんぎん。のTシャツをMakuakeやらCAMPFIREで出そうよ。先の本より絶対売れるって!!
なんでこんなにちゃんとした文章書ける人がドスケベスキンフェスティバルなんてやってるんだろうか…
ゲムぼく。さんのサ終絡みの記事は毎度ながら自分のやってるゲームがサ終した時の悲しさや、今やってるゲームがいつかサ終するであろう不安、それでもその時が来ても思い出が消えることのないものであることを強く感じさせてくれる。
……ところで、悲しみの後のドスケベは期待してもよろしいですか?(台無し
圧倒的にユーザーが多い、おそろしくランニングコストが低い、絶対的なオンリーワンの強みがある
生き残るのにはいろんな要素あるけどソシャゲタイトル10年以上となると極めて稀だものねえ
せめて知見が次につながってくれることを願うのみ
しんみりさせる文章だわ
しかしその裏で
げむぼく。は(むちむち)力を溜めている
状態なのは確かだと思う
オリジナルIPで7年はすごいことだよ
最近他のスマホゲームでもオフライン版移行が発表されたからなんだかしんみりしちゃった
想い出が端末に残ってくれるの、ありがたいよね…
ゲムぼく。さんのサービス振り返り文章、プレイヤー側や開発側への感謝と愛が伝わって読んでて涙が出てくる