多様性を尊重し、違いを認め合うことの重要性が説かれる時代である。
たとえばここ数年で、お笑い芸人が「ブスいじり」をするのはNGになった。外見に関して一定の特徴を有する人を傷つけてしまう可能性があるからだ。
いっぽう、「タレントの○○が美容整形をして美人に!」というニュースがあったとして、これもNGだ。一見いい話に見えるが、何をもって美人とするかという美意識の画一化を助長するおそれがある。
多角的な配慮が必要となり、コミュニケーションの難度は昔より上がった。
とりわけ、多くの人が目にするマス・コミュニケーションは難しい。代表的なのはネットニュースだ。世俗的な話題を多く取り扱うことも難しさに拍車をかける。事実を伝えることはもちろん大切だが、読み手を傷つけないことはそれ以上に大切だ。
しかし、そんなことが可能なのだろうか? さきほど美容整形の例で挙げたように、誰かにとっての「いい話」が、ほかの誰かにとっては「悪い話」になることだってあるのに……
さてここで、日本には「毒にも薬にもならない」ということわざがある。
害にならないが役にも立たないという意味で、日常的な言葉に置き換えれば「どうでもいい」に近い。
たとえば、近所のウワサで「隣町のとあるおじさんがポケットティッシュをもらったらしいよ」と聞いたとする。これはまさに、ほとんどの人にとって毒にも薬にもならない。悪い話ではないがいい話でもなく、どうでもいい。
……これじゃないか?
もしかして、いまの時代ネットニュースに求められることは、これなんじゃないか?
誰かにとっての薬がほかの誰かにとっての毒になってしまうならば、いっそ誰にとっても毒にも薬にもならないように。誰も喜ばず誰も傷つかないように。
ある種ディストピア的だが、これはまさに多様性の尊重の極みだ。これこそが社会の理想であり、今後の情報発信のあるべき姿だ。
SDGsにも「誰ひとり取り残さない社会」という言葉がある。今後のネットニュースもそうあるべきだ。
今回は、そんな誰も傷つかず誰も取り残さない「毒にも薬にもならないネットニュース」が実現可能かを模索し、研究を重ねていく。
【1】ネットニュースの基本構造と、「いい/悪い」軸での整理
政治からエンタメ、SNSのトレンドまでさまざまな話題を取り扱うネットニュースだが、基本的にはすべて「○○(誰)が、××(何)した」という主語・述語で成り立っている。たとえば、こんな感じ。
①期待のプロ野球選手Aが、ホームランを打った
②人気タレントのBが、暴力事件を起こした
③不祥事をたびたび起こすCが、寄付を行った
④指名手配犯のDが、さらなる犯罪を起こした
これをまず、「いい人/悪い人」「いいこと/悪いこと」という軸で分類してみよう。
こうなる。
①は「いい人」が「いいこと」をしたニュースで、②は「いい人」が「悪いこと」をしたニュースで……と分類できる。
なお、実際のところ世の中は「いい/悪い」をそこまでキレイに区別できるものではないわけだが、そこは今回の本質ではないので省く。
次に、この①~④のネットニュースが、読み手にとって毒になるか薬になるかを整理していこう。
おおよそ、こんな感じだろう。
ちなみにこれは、サンプル数は少ないがぼくが実際に脳内でヒアリングした結果をもとにしている。
①はほとんどの人がポジティブ感情を得る。しかし、「そんなすごいAに比べて自分はなんてダメなんだ」「自分は野球なんて興味ないのにみんな盛り上がってて不快だ」と傷ついてしまう人だっている。よって1割には毒になり得る。
②は「失望した」「ショックを受けた」というマイナスの声が大半のいっぽう、「なにか事情があるはず。私が応援して支える!」「あんな人気者でもダメなところがあるんだとわかってホッとした」などのポジティブ感情が引き出されるケースも少々ある。よって、3割には薬になり得る。
③は基本的にいい話だが、「ちょっといいことしたくらいで調子に乗るな、不快だ」「そんなことで罪を償ったつもりか」などのネガティブ感情も一部から出る。よって3割には毒。
④はほぼ毒。いっぽうで、ごく少数だが「自分よりクズがいて安心した」みたいに考える人もいるので、その場合は結果的に薬になる。
……うーん。難しいな。
割合は違えど、けっきょく①~④はほとんどの人にとって薬か毒になってしまう。
まあ、ほかの例を考えてみても、たとえば動物系のほっこりニュースってよくあるけど、あれもその動物が苦手な人にとっては毒だしな……グルメ系だって病気や体質でそれを食べられない人や嫌いな人には毒だ。
やはり、万人にとって毒にも薬にもならないネットニュースなんてありえないのか……?
【2】「どうでもいい」の軸を加えてみる
「いい/悪い」の中間として「無」、つまり「どうでもいい」を加えてみよう。
たとえば、好きなスポーツの有名選手の活躍に「すごい! うれしい!」と喜ぶ人でも、知らないスポーツの無名選手の活躍には「へ~、そうなんだ~」程度の反応で終わることはあるはず。いい悪いではなく、当然のこととして。
つまり……
こうなる。
「どうでもいい人」または「どうでもいいこと」が絡んできて初めて、そのネットニュースはどうでもいい可能性、すなわち毒にも薬にもならない可能性が生まれる。
そして、それはクロスしたときに最大化する。
つまり、みんなにとってどうでもいい人がどうでもいいことをしたとき、そしてそれが報じられたとき、すべての人(10割)にとって毒にも薬にもならない最強の多様性配慮型ネットニュースが誕生するのだ。
【3】具体例を考える
どうでもいい人がどうでもいいことをする例としては、冒頭で「隣町のとあるおじさんがポケットティッシュをもらった」というのを挙げた。
しかし実際には、一般のおじさんがどうでもいいことをしただけでネットニュースに取り上げられることはあり得ないし、やってはいけない。仮にムリヤリ取り上げたとしたら、「一般のおじさんごときがニュースになりやがった」という嫉妬が一部で生まれ、その人たちには「毒」になる。
よって、人をあえて「一般人/有名人」に二分するとしたら、有名人を前提として考えねばならない。
しかし、好かれたり嫌われたりしているとみんながプラスマイナスいずれかの感情を抱きやすくなるから、「有名人でありながら、誰からも好かれても嫌われてもいない人」でなければならない。
うーん……いるのか……?
ちゃんと有名人だけど、どうでもいい人……好き嫌いより無関心が勝つ人……認知度はあるのにファンもアンチもいない人……
あっ!!
ヒデちゃんじゃん!
芸能界に「好き」「嫌い」の二元論では語れない「無」の概念を初めてもたらしたことでおなじみのヒデちゃんじゃん!!
「中山秀征を知っていますか?」のアンケートでは「知っている」が9割で知名度抜群なのに、「好きですか? 嫌いですか?」のアンケートでは途端に「どちらでもない」が9割になることでおなじみのヒデちゃんじゃん!!
ということは、ヒデちゃんがどうでもいいことをしてそれを報じれば、ほぼ万人にとって毒にも薬にもならないネットニュースは実現できる。ゴールが見えてきた。
しかし、ここからがじつは難しい。どうでもいいことは「ほどよくどうでもいいこと」でなければならないからだ。たとえば、「ポケットティッシュをもらった」はどうでもよすぎてダメなのだ。
ネットとはいえニュースである以上、読み手には「ニュースになるに足るできごとのはずだ」という当然の先入観があり、そこに対して「ポケットティッシュをもらった」はギャップがありすぎる。すると、「どうでもよすぎて逆に笑える」になってしまうのだ。これでは「薬」になってしまう。
このケースの代表例は、2020年1月に一部ネットニュースで報じられた「平手友梨奈、お餅を1個食べる」だ。「お餅を1個食べる」はどうでもいいことだが、極度にどうでもよすぎて逆におもしろくなってしまっている。これではダメだ。薬はほかの誰かにとっての毒なのだ。
よって整理すると、ほぼ万人にとって毒にも薬にもならない完璧なネットニュースを実現する唯一の道筋は、「ヒデちゃんがほどよくどうでもいいことをしてそれを報じる」である。
いけるか……?
とりあえず、一流タレントたるヒデちゃんが主語になっているネットニュースはすでにたくさんありそうだから、そのなかからヒデちゃんがほどよくどうでもいいことをしているネットニュースがないか、探してみるか……?
……
…………
あっ!!
出典:https://news.livedoor.com/article/detail/12511727/
こっ、これだ!
喜怒哀楽すべての感情が微動だにしない! 毒にも薬にもならない!!
出典:https://news.livedoor.com/topics/detail/11513622/
あっ、これもだ!
まるで興味がないし、かといって拒絶するほどの嫌悪もない! これが「無」か!!
出典:https://news.livedoor.com/article/detail/13374961/
ウワアアア! これ以上もこれ以下もなく、ちょうどよくどうでもいい!!
なにも得られないし、かといってなにかが失われたとも思わない! ヒデちゃんすごい!!
結論:
ヒデちゃんのネットニュースはほぼ万人にとって毒にも薬にもならず社会に平等をもたらす。増やせ。
コメント
ためになった気もするし何の役にも立たない気もする
ヒデちゃんに興味は出ないが嫌いにもならない
そうか…この感情が「無」か…
振れ幅ありすぎて何のブログかわかんねーな
ゲムぼくさん除くハチナイユーザー4人をピンポイントで傷付け続けるブログ
恵俊彰じゃこうはならないからヒデちゃんはちょっとすげえよ
ゲムぼくさんがヒデちゃんネタにしてるの久々に見た
ゲムぼくさんには1割の人に嫌われても9割の人を笑わせるブログであって欲しい
つまりドスケベスキンフェスティバル
風刺の効いた鋭い記事と見せかけてふざけてるだけの記事すこ
どんないいニュース、悪いニュースでも一部の人は不快になり愉快になる。そんな当たり前な世の中を嘆くより、ゲムぼくさんの記事を楽しく拝見し少しでも楽しい時を過ごしている方々が少しでもいる。
とりあえず今はそれでいいのでは?
ちなみに中山氏より中山オータムハンデの方が1億倍興味あります。
これもうヒデちゃんのファンだろ
勝俣だと好きが勝っちゃうし恵だと嫌いが勝っちゃうからな
やっぱヒデちゃんよ
無のニュースを見つけて喜んでるから薬になっちゃってるじゃないか!!
これ実際難しいな。
どうでもいい記事に「こんなどうでもいい事を報じてんじゃねぇよ!」(毒)
って思う層は絶対いるよね。
つまりどうでもよくはないが知った所で「ふーん…そうなんだ…」程度の感想を持たれる内容でなければいけないのでは?
これヒデちゃんの話になるのでは?と思いながら読み進めていったらほんとにそうなってとても楽しい気持ちになれたので良記事です!
ゲムぼくの薬になってるから結局駄目なのでは…?
>このケースの代表例は、2020年1月に一部ネットニュースで報じられた「平手友梨奈、お餅を1個食べる」だ。「お餅を1個食べる」はどうでもいいことだが、極度にどうでもよすぎて逆におもしろくなってしまっている。これではダメだ。
ここ面白すぎて駄目だった
真面目な話から徐々に軸をずらしてどうでもよく笑える話に仕上げるゲムぼくさんの確かな文章力が光る良記事
惜しむらくは、ぽっちゃりが絡むと理性が飛ぶ浣腸鳥であること
投獄されている犯罪者ですらファンクラブが出来てしまう腐った世界なのに、ファンもアンチも生み出さない芸能人とか神の領域やろ
デブとババアと浣腸とヒデちゃんのポータルサイトとして名高いゲムぼく。
こちらが中山秀征ファンサイトですか?
「無」の記事ってこれしか無いと思うの
イチジク浣腸レポ
よし!みんなでこんにゃくパークに行こうぜ!
確かに。
ヒデちゃんにシューイチでしょーもない親父ギャグ言われても「親父ギャグだなぁ」としか思わないな。
時間の無駄と思うほど不快でもなく、コテコテすぎて逆に面白いというわけでもない絶妙さ。
「ヒデちゃんがシューイチに前歯なしで登場」は正直ちょっと面白い
「薬/どうでもいい」が最も現代で歓迎されるニュースだとすると、それが「いい人がどうでもいいことをした」「どうでもいい人がいいことをした」のどっちかだというのは非常に正しい考察な気がするな…
最初にこのブログの事か?と思ったけどアイギス寝室情報とラスオリドスケベスキンフェスティバルは俺にとって薬にしかなってねぇな
>> ぼくが実際に近辺でヒアリングした結果
じぶんのおちそちそに聞いてそうって思っちゃった
ごめんなさい
この考察がまさに毒にも薬にもならない(褒め言葉)
お、IQが上振れ期に入ったか
なんとなく日曜日の朝はシューイチ見てるけど
どうでもいい感じで見やすいのだろうな
自分にとってのゲムぼく。さんの記事こそ毒にも薬にもならずちょうどいい。
そしてちょっと面白いのでクセになる塩梅である。
熱烈なひでちゃんファンにこの記事見つけてほしい。
どうでもよすぎる内容にここまで真剣になってるのが面白い
一見いいニュースでも疎外感を感じてしまう人がいて毒みたいな要素が反映済みの表に「薬/どうでもいい」が入ってたら最強のはずなのに無視して真ん中目指すのすき
頭良さそうで良くないちょっと良い馬鹿(褒め言葉)
これもう無我の境地を探す修行僧だろ