『サクラクエスト』が終わった。
いい最終回だった。感想を細かく語るのも野暮なので、まだの人はぜひ観てほしいとだけ言っておく。
この半年間サクラクエストを観ていて、しばしば思い出したのが『花咲くいろは』のことだ。
2011年放送、サクラクエストと同じ制作会社「P.A.WORKS」が手がけた初のオリジナルアニメである。
『サクラクエスト』と『花咲くいろは』は、似ている部分が多くある。
舞台が北陸の田舎であるということもそうだし、メインの女性キャラ3人が「小柄で元気」「母性的でおっとり」「クールで強気」というトリオであることもそうだ。なんなら声優の声質もよく似ているし、主人公の「オシャカルト」「ぼんぼる」といった微妙にハズした造語センスまでそっくりだ。(ディスっているわけではないですよ)
そして、なにより。
「枯れゆく社会で、みずみずしく生きる人たち」を描いた物語であることが同じだ。
出典:http://www.hanasakuiroha.jp/story.html
過疎化、少子化、高齢化。かつての賑わいを失った田舎町。
都会で人の波に埋もれ、流されるように生きてきた都会の少女。
混ざり合うはずのなかったふたつが思わぬきっかけから混ざり、衝突をくり返し、少しずつ、町や、町に住む人たちの気持ちを変えていく。止まりかけていた時計が動きだす。
それはやがて物語の終盤で、サクラクエストでは「みずち祭り」、花咲くいろはでは「ぼんぼり祭り」をキーにしながら、結実に至っていく。
しかし、ここでぜひ述べておきたいのは、サクラクエストも花咲くいろはも決して、枯れゆく社会を見事に生き返らせた物語「ではない」ということだ。
みずち祭りは成功したが、単発のお祭りだけで町が活性化するわけではない。間野山への移住者がすぐに増えるわけでもないし、合併問題も未解決。課題は山積みだ。
ぼんぼり祭りで湯乃鷺温泉はにぎわい、新体制の喜翆荘も試行錯誤のなかで一定の成果を挙げたが、ついに喜翆荘の閉館を止めることはできなかった。
もしネットニュースで取り上げられるとしたら、「祭りで一日だけ盛り上がった間野山市、しかしその後は……」「寂れた温泉街の旅館がまた廃業」くらいの見出しで片付けられてしまうかもしれない。
引いた視点で結果だけを見るとぜんぜんハッピーエンドっぽくなくなるのが、両作品に共通する特徴だ。
出典:http://www.hanasakuiroha.jp/story.html
でも、実際にサクラクエストや花咲くいろはを観終えると、必ずポジティブな感情が湧いてくる。 元気に、前向きに毎日を楽しんでいこう、と思える。
それはやはり、両作品が「みずみずしく生きる人たち」を描いているからだと思う。
たとえ滅びに向かってゆくとしても、人は輝くことができる。
気の持ちようで、行動ひとつで、人との関わりで、人生はどんなふうにも動かしていける。
大きな流れは変えられないとしても、小さな変えられるものはたくさんある。
由乃や緒花や、他のあらゆる登場人物の生きざまから、それらを学ぶことができる。
だからぼくは、サクラクエストも花咲くいろはも大好きだ。
「けっきょく衰退は止められないところがリアリティある」みたいなシニカルな話じゃなくて、そうだとしてもそのうえで「そこにいる人の人生」がちゃんと輝いているから好きだ。
出典:http://sakura-quest.com/story/25.html
『こうして、町をちょっとだけ元気にした国王は、自分もたくさん元気になって、去ってゆきました』
サクラクエストの最後、サンダルがモノローグで語った言葉だ。
世界はちょっとしか変えられないかもしれない。でも、人は大きく変わることができる。
これは、両作品に通ずる、とても前向きで素敵なメッセージだと思う。
余談だが、最後に、両作品の違う点にもぜひ触れておきたい。
花咲くいろは最終回では、緒花は喜翆荘の閉館で結果的に「旅立たざるを得なくなった」。
サクラクエスト最終回では、由乃は国王の期間延長を願い出るという選択肢もあったのに「自ら旅立つことを選んだ」。
だからこそ、緒花は「いつかまた喜翆荘に戻ってきて働く」ことを誓ったが、由乃は「いつかまた国王になる」とは言わなかった。
ふたりは町を思う気持ちも人を想う気持ちも同じだが、最終的にたどり着いたその表現方法がかなり違うのだ。
緒花は16歳、由乃は20歳。決断の内容もふまえると、やっぱり由乃は大人なんだなあ、という気もする。
あるいは、P.A.WORKSの地方創生に対する想いの変化が反映されているのかもしれない。
コメント
由乃と凛々子は意外だけど納得の決断って感じで良かった
最後の5人それぞれの決断までの理由がしっかりあるのが良い