トイレに行きたい。おしっこがしたい。
行けばいいだろ。
もちろん、その通り。
トイレまで、直線距離にして約3m。誰もいないからすぐ入れる。
誰かに止められているわけでもない。行こうと思えばすぐ行ける。
問題は、ここが国際線飛行機、窓際のA席だということである。
トイレにたどり着くには、どこの国の人かもわからないB席のお姉さんとC席のおばちゃんを突破せねばならない。

現在時刻、10:45。
当機は11:45にソウル・金浦国際空港に到着予定。すなわち、あと1時間。
大韓航空の、新しくてキレイな飛行機だ。
座席はエコノミークラスと思えぬほどの高級感と柔らかさがあり、ヘッドレストが動かせてUSB Type-Cポートがある。ありがとう大韓航空。
ボーイング787という最新機らしい。革新的な技術を採用したカーボンファイバーの航空機。ライトブルーのボディに、ネイビーの「KOREAN」の文字が映える。お腹の部分は白く、その色合いはまるで野鳥のオオルリのよう。オオルリは夏に日本各地で見られるが、一部都道府県では重要保護生物や絶滅危惧種の指定を受けている。
尿意を紛らわすために調べた。わざわざ機内Wi-Fiを契約して調べた。11.95ドルかかった。今日のレートだと11.95ドルは1,904円らしい。高い。高いが安い。1,904円で尿意が抑えられるなら安い。
と思ったが、現状ぜんぜん抑えられていない。高い。私は大韓航空を許さない。
10:55。
さっき食べ終わった機内食で、コーラを飲まなければよかった。
いや、頼んでおいて飲まないという選択肢はないから、頼まなければよかった。でも、頼まない方法がわからなかった。
大韓航空のCAさんはほとんどが韓国人である。日本人利用客は多いはずだから日本語が通じるCAさんも多いだろうが、どう言えばいいか自信がなかった。
結果、飲み物を聞かれて無難に「コーラ」である。カートにコーラがあるのが見えたから、とりあえず間違いなく伝わりそうな「コーラ」である。日本人は断れない生き物である。
それに、断るとしても、「結構です」という日本語はわかりづらい。「いいです」「大丈夫です」も同様。肯定とも否定とも取れる。「いりません」は語気が強いのであんまり言いたくない。つまり、日本語で断ることは不可能。日本語は断れない言語である。
あなたは違うだろうが、「じゃあ『ノーセンキュー』と英語で言うなり、黙って手のひらを前に向けるジェスチャーなりすればいいだろ」と思った不届き者がいるかもしれない。
素人め。極限状態を知らない凡夫が。一度もなにかに本気になったことのない人間特有の浅薄な思考。外野からはなんとでも言えるんだよ。どうせスポーツ中継を観ながら「こんなんじゃ俺がやったほうがマシだよ」とかほざいてるんだろう。そんなんだからお前は。そんなんだからお前の人生はそんななんだよ!!
ただいま尿意のあまり異常に攻撃的になってしまったことを深くおわびいたします。
11:05。
飛行機が離陸してから1時間半が経った。
漏れそうだ。おしっこが。私は。思わず倒置法になるほど漏れそうだ。
尿意のMAXを100としたら、現在85。いや、本当はもうとっくに100だが、100であることを認めるとその瞬間に決壊するので85だと言い張っている。85。85。85。100。ウワアアアアア!!
危ない。一瞬現実を認めて漏れそうになった。エッチなASMRのカウントダウンの尿意バージョンみたいになってしまった。ちょっと漏れた可能性もある。こんにちは。
湿度100%みたいな状態だ。身体すべての細胞が限界まで水分を含んでいる。結露という名の失禁寸前。細胞が悲鳴を上げている。そういえば、前にフルマラソンを走り終えて倒れ込んだ選手がインタビューで、「細胞が悲鳴を上げている」と言っていたな。フルマラソンも失禁との戦いなんだな。
ちゃんと乗る前にトイレには行った。なんなら2回行った。
搭乗手続きが始まる直前に行き、ぼくが搭乗するZONE2の呼び出しが始まる直前にも行った。完璧だった。はずだった。
そもそも、09:20という早い出発時刻がよくない。
ぼくは朝に水分をたくさん摂る。起床直後に300mlの水を飲み、300mlのプロテイン+青汁入り牛乳を飲み、口直しにもう1回300mlの水と、眠気覚ましに300mlのアーモンドミルク入りコーヒーを飲む。この時点でもう1.2リットルである。
なので、午前中は頻繁にトイレに行く。1時間に1回は行く。水のように透明なおしっこが元気よく出る。上野公園の噴水を1基ぼくのおしっこに変えたとしても誰も気づかないと思う。じつはすでに今年4月からそうなっている。
11:10。
おそらく、もうすぐ着陸態勢に入り、シートベルト着用サインが点灯する。
そうなったらもう後には引けない。行くとすれば、ここが最後のチャンス。
B席のお姉さんは、席に備え付けの液晶モニターで映画か何かを見ている。韓国ドラマっぽい雰囲気。
イヤホンだから音は聞こえないし、字幕も出ていないが、おそらくこのお姉さんは韓国の人だろう。
いまどき韓国ドラマは日本人でも見るし、メイクなど含めた見た目の雰囲気も日本人とたいして変わらないからそこでは判別がつかないが、さっきの機内食で梅ジュースらしき飲み物をスムーズに頼んでいたのが決め手だ。
日本人が梅ジュースという選択肢を知っている可能性は低く、知っていたとしてもスムーズに頼める可能性は限りなくゼロに近い。名探偵はささいな違和感を見逃さない。
ドラマでは、夜景をバックに男女が見つめ合っている。たぶんクライマックスだ。
このあとキスするに違いない。するな! 公衆の面前でキスを! キスなんてキスという名の前戯だろうが! どうせ舌も入れてベロチューするんだろうが! するな! ベロチューなんてもう本番だろうが! 他人の本番なんて見たいと思ってんのか! 見たい! 見せろ! 本番を!!
韓国語で「すみません、ちょっと通ります」はなんと言うのだろうか。
1,904円の機内Wi-Fiで調べたところによると、「チャムシマンヨ」か「チャムカンマンヨ」がいいらしい。なんで2種類もあるんだよ。どっちかにしろ。私は大韓航空を許さない。
でもまあ、手刀を切りながら日本語で「すみません」で、いちおう伝わるだろう。本番中に横切る申し訳なさはあるが、B席のお姉さんは突破できそうな気がしてきた。
問題はC席。おばちゃんである。
本当は「おばちゃん」とはあまり書きたくないのだが、わかりやすさ重視で、いったんそう書く。
C席のおばちゃんは、おそらく寝ている。
B席を挟んでいるから覗き込めないが、モニターをつつくふりをしながら周辺視野でふんわり捉えてみた限り、熟睡している。それも、脚を伸ばして。手ごわい。
そのうえ、疲れているように見える。少なくとも、万全ではなさそうだ。なぜかと言うと、顔に湿布だか絆創膏だかのようなものを複数貼っているからである。
それがなんなのかは、よくわからない。転んでケガでもしたのか、あるいは美容整形のダウンタイムみたいなやつなのか。でも、ダウンタイム中にわざわざ韓国には行かないか。韓国で美容整形をして日本に帰る、ならありそうだが。
とにかく、ちょっと痛そうだ。休息が必要に見える。となると、起こすのはしのびない。
B席とC席が逆だったら、まだよかった。
B席が熟睡おばちゃんで、C席が本番お姉さんだったら、小声かジェスチャーでお姉さんにトイレに行く意思表示をして、申し訳ないがいちど立ってもらって、寝たままのおばちゃんの伸びた両足をひょいっと超えて通路に出られたと思う。
今回の並びだと、それができない。C席のおばちゃんを起こしてしまうことを避けられない。飛行機の座席はとにかく狭い。たかだかひとりがトイレに行くためだけにB席もC席も立って、おおごとになる。それだったら漏らしたほうがマシだ。マシではないんじゃないか?
あなたは違うだろうが、「じゃあそもそも窓際のA席なんか取らなければよかったのに」と思った不届き者がいるかもしれない。
事後諸葛亮め。後出しの机上の空論で利口ぶるだけの空虚な存在が。人生に本気で向き合ったことのない人間特有の蒙昧な思考。そんなんだからお前は。そんなんだからお前の人生はそんななんだよ!
ただいま人生最高の尿意のあまり攻撃性も人生最高になってしまったことを深くおわびいたします。
11:30。
着陸態勢に入って、しばらく経った。順調なフライトだから、もうすぐ着陸だろう。
けっきょくトイレには行かなかった。B席とC席を超えて行く勇気はなかった。漏らす勇気はある。その勇気はないほうがいいんじゃないか?
最後の対策として、ベルトを締めるとき、工夫をした。
と言っても、尿意を刺激しないようベルトをゆるめに締める、みたいなことではない。それはよくない。安全のため、ベルトはしっかり締めなければならない。
工夫を施したのは、体内。下腹部にグッと力を込め、膀胱を通常時より2cm上に押し上げてからベルトを締めることで、圧で膀胱にフタをした。これなら膀胱から尿道におしっこが下りてきづらい。
そんなことができるのかとツッコまれそうだが、できる。できた。できたと思わないともう耐えられない。いまの尿意は100をMAXとしたら120だから。
人間、気持ちがあればなんだってできる。『バキ』の愚地独歩だって、金的攻撃から身を守るために睾丸を体内にしまう「コツカケ」という技を習得している。失禁から身を守るためにおしっこを体内にしまう「オシカケ」があっても不思議ではない。おしっこはふだんから体内にしまってあるのでは?
あと少し。あと少しだ。いける。
仮に定刻通り11:45に着陸・停止したとして、飛行機を降りるのは11:50くらい。
金浦国際空港の構造は把握している。入国審査場の左手にトイレがある。11:55にはトイレに着く。解き放てる。
韓国のみなさま、こんにちは。日本からやってきた透明なおしっこです。ふだんは上野公園の噴水の1基として稼働しております。
11:45。
定刻通りに着陸し、停止。すばらしい。ありがとう大韓航空。
乗客たちが席を立ち始めた。荷物入れから荷物を取り出し、われ先にと機内通路に並び始めている。
みんな早くトイレに行きたいんだな。ぼくもだよ。ぼくがいちばん行きたいよ。誰にも負けないぞ。尿意ならこの機内の誰にも負けないぞ! なんならやってやろうか! いま、ここで!
計算通り、11:55には放尿できる流れだ。
危なかった。本当にギリギリ。12:00だったら耐えられなかった。公衆の面前で魔法が解けて、おしっこシンデレラになるところだった。
降り口にいるCAさんに「カムサハムニダ」と感謝を告げ、早足で歩く。尿意はとっくに限界を超えているが、ゴールが近いとわかると足取りも軽い。
金浦国際空港は大きな空港だが、もうひとつの主要国際空港である仁川国際空港に比べれば規模が小さく、そのぶんトイレが距離的に近い。そこまで人も多く……
あれ? 多い。
どうやらほかの便の到着時刻が若干ずれ、ほぼ同じ時間に着陸したようで、入国審査場がかなり混んでいる。
まあ、入国審査場の混雑はどうでもよい。いくらでも混め。ぼくはトイレにさえ人が並んでいなければ、どうでも……
……
あっ……
12:15。
韓国のみなさん、こんにちは。おしっこシンデレラです。ふだんは上野公園の噴水の1基として稼働しております。
韓国の百貨店でパンツを買うと、17,300ウォンかかるんですね。日本円にして1,904円。機内Wi-Fiと同じですね。





















コメント
汚いプロジェクトヘイルメアリー
わかる。
日韓を繋ぐおしっこの橋
スマホでトイレの画像を検索して見せればよかったのでは…?
いや、パニックでそれどころじゃなかったか…
人生。お疲れ様でした。
大人用おむつならもっと安く済みますよ!
尿意が限界に近い時の無駄な冷静さをうまく表現してて草
>じつはすでに今年4月からそうなっている。
上野ってすごいところなんだな…
> 事後諸葛亮め。後出しの机上の空論で利口ぶるだけの空虚な存在が。人生に本気で向き合ったことのない人間特有の蒙昧な思考。そんなんだからお前は。そんなんだからお前の人生はそんななんだよ!
泣いちゃった
パンツで済む量とは思えないのですが
ズボンはなんとかなりました?
サムネイルとタイトルだけ見て今日は良い話系の記事かなと思った自分を恥じたい
オチに1,904円が来る芸術的な構成
気を紛らわすためにどうでもいい調べ物するのあるあるで笑っちゃった
ブログの上に広告が出てる時はえっちな記事ではない(おしっこの話をしないとは言ってない)
悲しすぎる
>ベロチューなんてもう本番だろうが! するな! 他人の本番なんて見たいと思ってんのか! 見たい! 見せろ! 本番を!!
思想が強い
大よりかは幾分ましと…思えないな
歳取ってから下半身がゆるゆるだよぉ
おしっこに対しても挨拶を忘れない社会人の鑑
ずっと笑ってた
こういう文章多めの記事も好き
今度から上野公園に行くのやめよ…
どうしようもなさがひしひしと伝わってくるせいで絶妙に同情してしまう
お疲れ様です
おむつ、はこう!
私も今年漏らしたから仲間だよ
1周回って冷静になれるよね
悲しいね
おしっこ漏れそう!
漏れる!!
漏れた。
をここまで文章化できるモノなのか
哀悼の意を
この記事の分類が「人生」なの面白すぎる
この世界では公の場で漏らした悲しみを乗り越えた人から大人になれるのです
おめでとうゲムぼく。さんその日が貴方の真の成人式です
悪ィな
おれのズボンがおしっこ飲んじまった
丹田に意識を集中した波紋呼吸法をオススメする
今までで一番ゲムぼく。さんを身近に感じた記事かもしれない
これは記事なのか?
俺はこれを今年の記事大賞に投票するよ
見ず知らずのおばちゃんに対しても気を遣うゲムぼく。さんの優しさを感じる
次回以降は大人用おむつという名のガラスの靴履いてくる勇気を出せば大丈夫
おしンデレラ
サッカー日本代表がFIFA公式1000戦目という節目の試合で歴史的大勝をし
俺の母親の誕生日になんて記事を書いてくれたんだ…
オシッコぼく。さん……
お後がよろしいようで…いやよろしくはないな…
ケンチャナヨくらい覚えよう!!!
上野公園の噴水ですでに笑ってたのにシンデレラでトドメ刺された
お疲れ様です
水分いっぱい摂ってるから薄い尿だろうし、まぁ…
量によるけど
給水ナプキンに収まらない量じゃないかな…
エッチなASMRのカウントダウンの尿意バージョンで耐えられなかった
>>じつはすでに今年4月からそうなっている。
マジかよ上野公園最低だな!
体の一部をクラゲ化出来れば助かったのに…。
おしっこシンデレラ。
ゲムぼく。さんが漏らす勇気を持てるつよい人間でよかった
旅行の醍醐味はトラブルを乗り越えたときの脳汁
着陸後の降機前に機内のトイレに行くという選択肢はなかったのだろうかと痛ましい気分で読みまみた
コメントをどうぞじゃないが
悲しい…尿と涙を禁じ得ない
おしっこちょぴっと漏れ太郎
叙述的文筆家、ゲムぼく。
おしっこマン
元気だしてね
ベトナムで便意が限界で市場をさまよったときのこと思い出しますね…勝手の分からない外国でトイレを求めるときの心細さはやばい。
むちむちパツパツのおしがまキャラの紹介記事かと思ったらご本人エピソードだった…助かります