Eテレ『おかあさんといっしょ』内の着ぐるみ人形劇『ポコポッテイト』。(2011年~)
なじみのない人には、『にこにこぷん』『ドレミファ・どーなっつ!』『ぐ~チョコランタン』などの現代版だと言えばだいたい伝わるだろうか。
明るく元気なラーテルの男の子、「ムテ吉」。
おしゃれが好きで負けん気の強いネコ(マンチカン)の女の子、「ミーニャ」。
真面目だけどちょっとズレたところもあるヒツジ(ジャコブヒツジ)の男の子、「メーコブ」。
この主役3人を中心に、毎回、愉快なドタバタ劇がくり広げられているわけである……が。
この3人の中でも特に主人公格である「ムテ吉」の設定があまりにも闇が深く、ぼく自身、子どもと一緒に見ていてどんどん不安になってきてしまうレベルなので、今回はそれについて考えたい。
明るく楽しい番組の、明るく元気な主人公。その裏に隠された深い深い闇に迫る。
ムテ吉の闇その1:両親がいない
ムテ吉は3歳の幼児だが、「ぽていじま」という島でおばあちゃんと二人暮らしをしている。
ムテ吉の両親は「冒険家(トレジャーハンタ-)」。世界各地を転々としており、家に帰ってくることがほとんどないという設定だ。なので、両親が実際に登場したことはない。
劇中でも主役3人の家庭の話題が出ることがたびたびあり、ミーニャは両親が床屋を営んでいることに関するネタや、母親がアクセサリーを手作りしてくれたことを自慢するエピソードなどが豊富にある。また、メーコブも父親がウール工場の社長であることにまつわる話や、母親に溺愛されていることを示すエピソードが多い。
しかし、ムテ吉にはなにもない。ミーニャとメーコブが家庭の話題を始めると、いつもいちばんうるさいはずのムテ吉は決まって「とーちゃん、かーちゃん、元気にしてるかなぁ」とつぶやくだけなのだ。いったいどれほど長く両親に会えていないのだろうか?
たとえばそれが半年にしろ1年にしろ、それだけの期間、仕事が忙しいとはいえ元気な両親がたったひとりの子ども(しかも幼児)の顔をいちども見に帰ってこない、という状況は、かなり特殊ではないだろうか?
ムテ吉は、はたしてどれほど両親に愛されているのだろうか?
また、もっとつっこんだ見方をするならば、そもそもムテ吉の両親はいまもこの世に存在しているのだろうか?
ムテ吉は、まだ難しいことが理解できないたった3歳の子どもだ。同居しているというおばあちゃんが気を遣って、「お父さんとお母さんは冒険に出ているだけだよ」と説明しているのかもしれない。
ムテ吉の闇その2:コミュニケーション能力の欠如と情緒不安定
ムテ吉のふだんの性格はひとことで言えば「粗暴」である。元気がありすぎるのだ。
考えるより先に身体が動くタイプで、ことあるごとに「無敵のムテ吉だいっ!」と名乗りながらデッキブラシや長い棒をブンブン振り回して周囲を怖がらせてしまっている。
また、マンチカンであるミーニャに対して「トンチンカン」、ヒツジであるメーコブに対して「ウシ」と言い放つこともしょっちゅう。何度訂正されてもそれは直ることがない。むしろ、「そう言い間違えれば訂正してもらえて会話が生まれる」と解釈して喜んでいるフシすらある。ミーニャとメーコブは本当にいやがっているのに。
そうした人を傷つける言動が目立ついっぽうで、ムテ吉は自身が責められたり、想定外の状況でパニックに陥ったりすると、尋常じゃないほど大泣きし始め、とたんに自信を失い弱気になる傾向がある。あまりにも感情の起伏が激しすぎるのだ。
そんな繊細な面を持つはずなのに、どうしてふだん、必要以上に明るく、ときに暴力的にふるまってしまうのだろうか。
ひょっとしたら、両親がおらず、ミーニャやメーコブと出会うまで同世代の友達もいなかったムテ吉は、そうすること以外に人と関わる方法を知らないのかもしれない。
ムテ吉の闇その3:極端に目立つ貧困描写
2015年12月の放送において何度か、ミーニャとメーコブは温かく真新しい冬服(コートなど)を着ているのに、ムテ吉だけはいつも通りのタンクトップに半ズボン、という回が見られた。真冬なのに。
それは単にムテ吉が寒さを感じないくらい元気なのか、それとも、冬服を買うことができない経済的事情を抱えているのか。
また、2016年正月の放送においても、ムテ吉だけ晴れ着を着せてもらえず普段着という明らかに不自然なシーンがあった。
さらに、食事についても気になる描写が多い。
ハンバーガーについて取り上げた回では、ムテ吉だけがハンバーガーという食べ物の存在そのものを知らなかった。寿司の回では、ミーニャは「寿司と言えば回転寿司」という中流階級っぽい主張、メーコブは「寿司は板前さんが握ってくれるもの」という富裕層っぽい主張をしていたのに対し、ムテ吉は「おすしはばーちゃんに作ってもらったことがあるぞ!」と言っており、まったく噛み合っていなかった。お店で食べることができるもの、という発想が彼にないことがわかる。
また、「作ってもらったことがある」という言い方も微妙だ。それはいったいどれほど昔で、どれほどレアな体験だったのだろうか?
ムテ吉の闇その4:主要な登場人物の中で唯一読み書きができない
ムテ吉は文字の読み書きができない。手紙を書くときなどは、仲のいい妖精「ララパ」にお願いしているという設定になっている。
ムテ吉はまだ3歳なので、絶対的に見れば、読み書きができないこと自体はそんなに不思議ではない。
しかし、『ポコポッテイト』劇中において、同じく3歳のミーニャをはじめ、ムテ吉以外のすべての登場人物は文字の読み書きができるのだ。
同い年なのに、ミーニャはできてムテ吉はできない。なお、ミーニャはごくふつうの女の子であり、特別な教育を受けているなどの設定は一切ない。
この違いを活かしたエピソードが特にあったわけでもないのに、なぜそんな設定にしたのだろうか?暗に「格差」を表現しようとしていないだろうか?
ムテ吉の闇その5:「ララパ」の存在
前述の通り、ムテ吉は「ばーちゃん」と二人暮らしをしている。実質的に同居状態にある妖精のララパを含めると三人暮らしだ。
ララパは妖精ということで、不思議な力を使って瞬間移動ができる。そのため、いつでもムテ吉のそばに現れたり消えたりすることができる。
また、ムテ吉と非常に仲がよく、まるで母親のように面倒見もよい。いつもムテ吉のことを気にかけ、やさしく見守ってくれている。
いっぽう、ムテ吉以外の登場人物には興味がないのか、ムテ吉以外とはほとんど会話がなく、ムテ吉がいない場面ではそもそも登場自体がほとんどない。
「急に現れたり消えたりする」「ムテ吉にだけ母親のような愛情を注ぐ」「ムテ吉がいないと出てこない」という事実、そして、ムテ吉は両親のいない家庭で育ってきている、という背景。これらを組み合わせると、ある仮説が浮かんでくる。
ララパは、母の愛情に飢えたムテ吉が見ている幻なのではないか?
あるいは、愛情を欲する強い想いが生み出してしまった思念体なのではないか?
劇中ではララパがムテ吉以外の人物と会話する場面もなくはないため、前者だとすると、周囲はムテ吉が幻を見ていることを理解し、配慮して話を合わせてあげている、ということになる。後者だとすると、目に見える思念体ということで説明がつく。
余談だが、「ララパ」という名前の響きは、チベット仏教における幻(空想)を視覚化して思念体を作り出す秘術「タルパ」によく似ている。
ムテ吉の闇その6:「ばーちゃん」の謎
ムテ吉に「ばーちゃん」がいることはムテ吉自身の口からは何度も語られているが、実際にばーちゃんが劇中で姿を見せたことはない。
しかし、ほぼ一度だけだったと思うが、声だけでなら登場したことがある。
そのとき、ばーちゃんの声優は、こおろぎさとみだった。
ちなみに、さきほど「その5」で実在が疑われたララパの声優は、なんと同じくこおろぎさとみである。
はたして、ムテ吉の「ばーちゃん」は、本当に存在しているのだろうか?
ムテ吉の話では「厳しくて怖いけど、ホントはやさしい」らしいが、だとしたら粗暴なふるまいをするムテ吉を叱ったり、読み書きを教えたり、寒い日に冬服を着せたりしないのはなぜだろうか?
最悪の想像をするならば、ムテ吉の両親はすでに他界(またはムテ吉を捨てた)し、ばーちゃんも死亡または寝たきりなどの動けない状態。その中でムテ吉は、元気だったころの「ばーちゃん」と母親がわりの「ララパ」というふたつの幻影を心の支えにしてひとりで生きているのではないだろうか?
気になった人は、ぜひ実際に『おかあさんといっしょ』を何回か録画するなりなんなりして、その目で確認し、一緒に考えてみてほしい。
あくまで「そういう考え方もできる」という話であって、十中八九思い込みだということはわかっているが……
ベテラン揃いのEテレスタッフがこのあたりをなにも考えずにやっているとは、ぼくには思えないのだ。
コメント
「にこにこぷん」のじゃじゃまるさんみたいな子ですね!
いろんな家庭の子供が見ているから、いろんな子供に考慮したキャラ設定になっているそうですね。過去にも、お父さんはお仕事で遠くにいるとか、お父さんと二人暮らしとか、宇宙?から不時着して帰れない?とか色々あって興味深いですよね。
ムテ吉はいい子だ。かわいい子だ。無駄にネガティヴであざといキャラより元気でやんちゃキャラの方が私は好きだ。
ムテ吉達もっと続くと思ってたら意外と早く終わっちゃって残念だったなぁ… (´ ・ ・ ` )
ムテ吉かわいすぎるだろオイ。
もっと続いても良かった