ぼくは中高6年間、友達がいなかった。
それはもう、見事なまでに、ひとりもいなかった。
中高6年間を通して、いちばん多くしゃべった相手は両親で、その次はCDレンタルの店員さんだ。
このことに関して、ぼくはふたつの「なぜ」をときどき考える。
ひとつめは、なぜ、ぼくはこんなにも友達ができなかったのだろうか?ということ。
ふたつめは、なぜ、ぼくはそれで6年間も平気だったのだろうか?ということだ。
冷静に考えると、おかしい気がするのだ。
学校という閉鎖的な村社会において、通常、孤独な人間はもっとも差別され排斥される。あいつはどこのグループにもなじめない頭のおかしい奴だ、気持ち悪い、いじめてしまえ、となるはずなのだ。
で、実際、ある程度はいじめられていた気もする。もはや記憶が定かでないが、陰口を叩かれたり、文化祭でぼくだけ役割を与えられず打ち上げにも呼ばれなかったり、修学旅行で自分だけひとり班にされたり、靴や上履きを隠されたり、みたいなことはふつうにあった。っていうか、学校に一日いて誰とも会話をしていない時点で、周囲から避けられているのは明白である。
でも、ぼくはあまりダメージを受けなかった気がする。つらいから学校を休もう、と思ったことがなく、逆にほぼ皆勤賞だった。そこは爆笑問題の太田光と似ている。
ぼくは友達がいないことを恥じる気持ちはあったが、それはどちらかと言うと「友達がいないことは一般的に恥ずかしいことらしいから、恥じたほうがいいんだろうな。お父さんやお母さんに申し訳ないな」という思考から始まっており、どこか客観的だった。
それって、ちょっと異常ではないか?
ふつう、孤独はしんどいことで、特に思春期の少年にとっては致命的なことで、不登校などにつながり得ることなのではないか?
先日、実家に帰ったとき、中高生時代に使っていた古いデスクトップPCを起動した。
ディスプレイがブラウン管の、もはや化石のようなPCだ。自転車で1時間かけてパーツショップに行ってグラフィックボードとメモリを買い、Windows100%か何かを読みながら必死に増設したことが思い出される。
あれこれとローカルフォルダをあさり、当時の思い出を巡っていると、当時やっていたFINAL FANTASY XIのチャットログを見つけた。
ぼくはパーティーやリンクシェルはあまり好きではなくソロプレイ中心だったが、ジュノの街中でのんびりと過ごし、見知らぬ人々のSayやShoutに耳を傾けるのは好きだった。ログアウト後にそれらが詰まったチャットログを見返すのも好きだった。けっこうキモい趣味かもしれないが。
そして、見知らぬ冒険者ふたりによる、あるチャットログを見つけた。
「○○さんはガチ勢だからエンジョイ勢と噛み合わないのはしょうがないw」
「ってか、噛み合う必要がないんだよね。目的が違うんだから」
「たしかにw でもまぁ手段が同じな時はあるねw」
このログがあるファイルだけ別のフォルダにコピーされ保存されていたから、たぶん、当時のぼくに響いたのだと思う。いまのぼくにも再度響いた。
そうか。
ぼくはおそらく、友達がいないことを人並みに恥じつつも、根本では「目的が違うから、友達をつくる必要はない」と考えていたのだ。当時はうまく言語化できなかったけれど。
ぼくが学校に行く目的は、勉強と、ラジオのネタ投稿のための「学校あるある」探し。周りのみんなが学校に行く目的は、たぶん、友達作りとか部活とか、あるいはあまり考えていないか。
そりゃあ、噛み合わないのもしょうがない。ぼくのほうが絶対マイノリティーだもんな。じゃあ、この環境に適応する必要はない。そう考えていたのだ。
これこそが、友達ができなかった理由だし、できなくても結果的に平気だった理由なのだろう。いや、もしかしたら、友達ができないからそう考えるようになっていったのかもしれないけど。鶏が先か卵が先か、的な。
もしも、ぼくが学校に行く目的が「友達作り」に置かれていたとしたら、友達がいない6年間はとてつもなくつらいものだっただろうし、間違いなく不登校や、最悪の場合は自殺に至っていただろう。
目的が違う人と、必ずしもわかり合う必要はない。
ただ、目的が違うからと言って、敵だとも限らない。手段が同じときは一緒にいればいい。
この考えを持つとラクになる場面というのは、人生において、ときどきあるような気がする。もちろん、それだけでは解決しないことも多々あるけれど。
コメント
どうしたんですか急に
まともな人間になってしまったんですか
メンタルの強さ見習いたい
全国のイケてない学生に読ませたいシリーズ
奥さんに出会えたことに感謝ですね。大学入ってすぐの時に頑張って新歓コンパ?に無理してでも行って良かったんでしょうね。ときどきでも、人のアドバイスは聞いておいた方がいいかもですね。
闇の青春シリーズ好き
皆と仲良くしないといけないみたいな風潮強すぎるよねえ
「友達なんていなくても人間生きていける」と言う人がいる。
本当に人付き合いが煩わしいんならそれでいいかもしれないけど、実は寂しくて友達が欲しいのに作れなくて「あのぶどうは酸っぱいんだ」みたいな感じで言ってるんなら、それはいつか後悔することになるよ、と25年前に失敗して今でもほとんど友達のいないオッサンが言ってみる。
2億円くれたら友達になってあげてもいいよ?
一応友達いたけど維持しようとしなきゃ関係とか簡単に切れるなって理解して以降面倒になって一定以上の距離にならないようにしてたわ
奥さんに感謝しローゥ
久しぶりの闇の青春シリーズやん!
五月病患者に向けた記事ですねこれは(遅い)
さらっと書いてるけど修学旅行一人班はエグい
世間体とかが気にならないタイプの子は無理に友達作ることないよね
ネット普及前は横の繋がりがないと本当に孤独だったけど今はまあそれなりに暇を潰せる手段もあるわけで
それでも今の樹村さんは良い奥さんがいて、良い父親である、、、
きっとこの暗い青春を送ってきた樹村さんだからこそ今の樹村さんがあるんだと思ったけどやっぱりイチジク浣腸ブログは無いわ、、、
自分は中学時代は友達いたけど、高校になり疎遠に、
高校でも友達いたけど、大学で疎遠に。
大学でも友達いたけど、就職して疎遠に。
就職して職場結婚した時に結婚式で呼ぶ人がいなくて困ったくらいだな。
メールや電話などのコミュニケーションを面倒くさいと感じるし、友達と遊ぶとかよりゲームが好きって人間にとっては同調圧力を気にしなければ問題なし。
体裁を気にするなら頑張れ。
ストレス社会を生き抜くにあたってコミュニケーションをとることは絶対に必要
学生時代のゲムぼくさんにとってそれはラジオだったり、オンラインゲームだったりしたんだろう
それがないと徐々に感情を失い体に不調が出てくる
心と体は密接に関わり合っています
無理に友達を作る必要はありませんが
人との繋がりを大切にしてください
BLOGOSで書かれるくらいのレベルの記事を書いちゃってからもう・・・
おっぱい属性の変態のくせに!